Christmas Advent
12月25日
小さな男の子が窓に手と顔をくっつけています。
今日、いじめっ子が信じがたいことを言っていたのです。
『サンタクロースの正体はパパなんだ!』
男の子にパパはいません。ママだけです。
けれども毎年、クリスマスの朝にはプレゼントが置かれていました。
サンタクロース以外のだれがくれるというのでしょう。
ひょうひょう、ごうごうと風が鳴ります。雪が人をおどかすように降ります。
こんな天気でサンタクロースは来られるかしら。
心配してもまぶたが勝手に重くなります。窓ガラスにひたいがぶつかります。
はっとして仰いだ夜空の一点に、男の子の目が吸い寄せられました。
向かいの家が見えないほどの雪を光が裂きます。
光はひと筋の道となり、見知らぬ人影を男の子のもとへと運んできました。
影だった人の顔がはっきり見えたところで、男の子の記憶は途切れました。
綿みたいな雪があたり一面を覆っています。
今年もまた、男の子の枕もとにプレゼントが届けられました。
贈り物を抱えて居間に入った男の子は、あっと声をあげました。
ママが大切にしている写真立てのなかで、昨夜見た人が笑っていました。
12月21日
雪の夜、文具店の主人が棚を見上げていました。
一番好きなネイビーブルーのインク瓶を棚から下ろします。
外箱を開けて蓋を取ると、ほこりっぽい、おごそかな香りがしました。
愛用のペン先をインクに浸し、自分の名を記します。
使いなれた道具と質のよいインクが描く文字は流れるようです。
小さな店をたたまずにいるのは、この書き味があるからでした。
ベルの音がして、ひとりの客が来店しました。
丸い目を真っ赤にした五、六歳の少年です。
「坊や、どうしたね。どこか痛いのかい」
少年はかぶりを振るばかり。陶磁の手が封書を握りしめています。
宛名を見た主人は首をかしげました。
サンタさんへ
届く届かないは別にして、かわいい字がにじんでいます。
(道に迷って泣いたかな)
主人は目尻のしわを深くして微笑みました。
「書きなおしたいの? 坊やが書く?」
少年は大きくうなずき、少し迷ってから首を横に振りました。
「私でよければ書こうかね。封筒も新しくして、郵便局への地図も書こうか」
ひとみを輝かせた少年は、主人に手紙を渡しました。
数日後、店にはひっきりなしに客が来ました。
客は全員、にじまないインクをくれと言います。
インクの強さには自信があったため、とまどうことなく売りました。
インクがすべて売れてしまうと、主人は店を閉めました。
椅子に座り、客が持ってきた新聞の切り抜きを見ます。
『にじまないインクは当店で』
宣伝文の横に、愛してやまない店の外観がありました。
主人は電話機に向かおうとしましたが、やめにしました。
広告主を新聞社に訊くのは野暮に思えたのです。
主人が宛名を書いてやった少年は、ひとひらの雪もかぶっていませんでした。
雪のなかを歩いてきたはずなのに、少しも寒そうではありませんでした。
何より主人は覚えています。郵便局へ続く道に、少年の靴跡が残らなかったことを。
数年後、主人の文具店は手紙用品専門の店になりました。
たしかな品質のインクと紙、ペンを売る誠実な店は、主人が亡くなるまで繁盛しました。
12月20日
夜更けに家の扉を叩く音がした。ユキウサギが出てみると、怪我をしたオオカミがいた。
縄張り争いに敗れた若いオオカミなど珍しくもない。しかもこいつらは粗野だ。
ユキウサギは迷わず扉を閉めた。
翌朝、庭にオオカミがうずくまっていた。
灰色がかった褐色の、美しいからだが雪に埋もれている。
ユキウサギはため息をつき、オオカミを家に入れた。
一か月後。
オオカミが作った豆のシチューを、ユキウサギがしげしげと見る。
ひと口すすり、ひげをひくつかせた。
「調味料、何を使った?」
オオカミは黙って台所を指差す。
調理台の上には 『SUGAR』 と書かれた器が乗っていた。
「あれはちがう」
「────Sがあったし、おまえは甘い味が好きだと言っていた」
主とした調味料にソルトとシュガーがあること、それぞれの味とつづり。
料理にはソルトを、菓子や茶にはシュガーを使うと教えたはずだ。
ユキウサギはひたいを押さえ、首を横に振った。
「いいさ。両方ともSから始まるもんな。どちらかの器を別の色にしよう」
軽く言ったつもりが、オオカミはこうべを垂れた。
「もう寝るよ。おやすみ」
寝室の扉を閉めるときに見えたオオカミは、下を向いたままだった。
空が白むころ、ユキウサギは家の扉が開く音を聞いた。
居間にオオカミが入ってくる。どうやら夜のうちに出ていたらしい。
オオカミの様子がおかしい。口のまわりから胸まで赤く、目は鋭く光っていた。
(こいつ、ほかの生きものを)
若く、体力も回復した獣がうなる。吐き出される息が生ぐさい。
オオカミはひと月ものあいだ、豆や干し草、樹皮で我慢してきた。本能に従う時期なのだ。
「どけ────」
うなり声にまじって苦しそうな声がした。灰褐色の毛が逆立つ。
「どいてくれ────」
よだれを垂らしたオオカミが、ユキウサギめがけて大きくひらめいた。
悲鳴のかわりに聞こえたのは、居間の窓が壊れる音だった。
ユキウサギが震えを抑えて窓辺に駆け寄る。
窓枠にはオオカミの毛が、庭の雪にはオオカミの足跡が残った。
一年後。
ユキウサギが住む地にほど近い沢で、痩せこけたオオカミが土に帰ろうとしていた。
アバラが砕けているために胸がへこみ、足も折れている。
耳は裂け、豊かであった毛も抜けていた。傷のないところはなかった。
月色のひとみには膜が張り、すでにユキウサギを見る力はない。
牙と前歯が折れ、奥歯は割れていた。四肢の指先は一本残らず食いちぎられていた。
痛みのないところはひとつもない。それでもオオカミの顔つきは穏やかだった。
ユキウサギのもとから去った数か月後、オオカミはある決断をした。
生きて動くものを見れば血がさわぐ。
あのユキウサギを狩ってしまったらと思うと眠れなくなり、決断を実行に移した。
爪を抜くために自分の指を食い、歯をつぶすために自ら石を噛んだ。
(神さま。おれを隠してくれ。ここがどこだかわからないが、あいつに見られたくない)
オオカミがこと切れた。
愚かで安らかなむくろに、雪が静かに降り積もった。
12月18日
ひとりの神さまが雲の寝台から地上をのぞいておりました。
雪降る暗い道を、青いひとみとバラ色の頬をした少年が急ぎます。
少年は勤め先からどこにも寄ることなく、小屋に似た家の扉を開けました。
ベッドにいる祖母の肩口に毛布をかけ、台所のかまどに薪をくべます。
神さまが持つ望遠鏡の輪のなかで、少年は働きどおしでした。
「ふむ」
筒状の望遠鏡を置いた神さま、盟友に念を飛ばしました。
「あの老女の寿命を知りたい」
盟友である死神の枕辺に穴が開きます。死神は穴の向こうを見やり、
『この冬の終わりと共に』
「間違いはないか」
『おれをだれだと思っている』
「待て。老女が死の床を迎えても、彼をたすく者はおるか」
死神はふたたび雲のすき間から下界を見ます。
死神の目がとらえたものは、祖母の口にスープを運ぶ少年でした。
『おる』
草木が芽吹くころ、少年の祖母は天に召されました。
墓前で少年の肩を抱く青年がいます。
頬杖をつく神さまに、無粋な念が飛んできました。
『おまえの片恋は終わったか』
「うるさい」
『人間にうつつを抜かすな。おれの寝屋に来い。慰めてやる』
「気が向いたらな」
(そういえば死神のやつも、絹のような髪をしておる)
面食いで気が多い神さま、くすりと笑い、目を閉じました。
12月17日
いったいだれが決めたのだろう。
サンタクロースというものは、ばかみたいに太っていなくてはならないと。
「うーん、今年もいい感じ。どう、似合ってる?」
ぼくの同棲相手は毎年太る。計画を立て、徹底的に、これでもかと太る。
年に一度の一大イベントのために、体重を三桁までもっていくのだ。
「似合ってる。どこから見ても子どものアイドル」
ぶっきらぼうな答えなのに、愛する巨漢は目を細めてうなずいた。
「代々続く衣装だからね。今年も合ってよかったよ」
彼の父も祖父も、その前の人たちも、無茶な太りかたをして早死にした。
だからぼくは一緒に住むようになった年、毎年の慈善事業をやめてくれと言った。
『できないよ、ハニー。それだけは神さまに頼まれても無理だ』
悲しげに返されてあきらめるほど、ぼくは素直じゃない。
ある年は泣き落としを試みた。別の年は仮病を使った。
数年前、思い出すのも恥ずかしいことをした。
トナカイに下剤をかけようとしたのだ。
太った想い人は、飼い葉桶に忍び寄るぼくを見て絶句した。
家に入れと言った彼の顔が忘れられない。どんな新雪より青白かった。
あの年、彼は無言で冬の空に向かった。
ぼくは朝まで一睡もできず、一晩が千夜にも思えた。
「じゃあ、行ってくるよ」
恋人がドアを開けようとする。ぼくは慌てて立ち上がった。
ひげをかき分けて頬にキスする。彼と同じほどのかさがある袋にも唇を寄せた。
「気をつけて。しっかり届けてね」
キスで見送るのは今年が初めてだ。大男が悪戯っ子よろしく片目をつむる。
「ちゃんと眠るんだよ、かわいい人」
「わかってる」
先祖伝来の鞭が舞う。トナカイのひづめが雪を散らす。
手入れの行き届いたそりが、サンタクロースを雲の彼方へ運ぶ。
夢の配達人を愛してしまったのだ。じたばたしても始まらない。
ぼくは窓のそばに陣取り、空に残るそりの軌跡を見上げた。